「これら1つ1つが人生の引き出し」
前回の日記で小学生時代のことを書いていたら思いが溢れてしまって押しつぶされそうになったのだけど、寝たらそれは一気に直ってて現実にスンと引き戻されていた。
しかしふと探し物をしていたら小学生の頃の写真を見つけてしまい、またグッと引き戻されたので続きを書こうと思う。
というのも、前回小6まで書き終わってアァいろいろあったなあとしみじみしていたけれど、出てきた写真は「ゴルゴ松本の真似をする小2の私」で、ちょっと待てよ…となったからである。
たしかに私は小1〜2の頃ゴルゴ松本をリスペクトしていて、体で文字を作るあの芸をことあるごとにやっていた。(「命」や「炎」など)
写真に写っていたのは忠実に再現する「心」という字だったが、隣には同じポーズをする友人も写っていた。
私はゴルゴ松本をリスペクトしていた。でも友人はどうだろうか。リスペクトしていなかったかもしれないし、もしかしたら「なぜこのようなことをやらされているのか」と思いながらも懸命に「心」の体文字をしていたのかもしれない。
思えば私はほんの数回見た「フルハウス」もリスペクトし、昼休みは空き教室で即興劇をしていたことを思い出す。とある友人と2人で、役柄だけを決めオチも特に決めず昼休みの時間いっぱいを劇に注ぎ込んだ。観客の笑いも劇の一部だ、なーんて思っていたっけ。
時には夫役をやったし、時にはファッションショーの日もあった。
私は「フルハウス」をリスペクトしていた。でも友人はどうだろうか。リスペクトしていなかったかもしれないし、もしかしたらそもそも昼休みは外で遊びたかったかもしれない。
でもそのような「表現する」ことは、例の小6の演劇クラブに生きたことになる。
公演名は「プーは語る」。これは冒頭の脚本である。未だに覚えてたことに驚いた。
登場人物A:プーは語る
登場人物B:プーは語る
登場人物C:語る、語る、いろいろ語る
プー(ここで満を辞して登場):楽しいことや悲しいこと、面白いことやドキッとすること
ローラン(全編裏声でこなした私の役):これら1つ1つが人生の引き出し
「これら1つ1つが人生の引き出し」
ゴルゴ松本をリスペクトして全力で体文字をしたことも、フルハウスをリスペクトして全力で即興劇をしたことも、隣の晩御飯をリスペクトして、祖父母の家に遊びに行くときはいらなくなったしゃもじを持ってピンポンしてたことも、中学の生徒会長を一目見てリスペクトして生徒会長になるんだと心に決めたことも、
「これら1つ1つが人生の引き出し」
ちなみに小2で作った曲の題名は「悲しいときにも誰かがいる」
……「これら1つ1つが人生の引き出し」……
真面目な話に戻ると、小6の頃にピアノの先生に言われた一言で人生が決まったと言っても過言ではなかった。
「あなた、曲を作るのは楽しそうね」
曲を作るの「は」楽しそうね
作るの「は」
漠然と卒業文集に将来の夢は「ピアノの先生」と書いていたが、心のうちとしては作曲家になりたいんだよなぁの気持ちで満たされていたんだと思う。
とか言いながら自作自演のコンサートでは、途中頭が真っ白になって左手がいなくなったり、冒頭から派手にスケールをミスったり、、したけどね♡
成人式のときに発掘したタイムカプセルには20歳の自分への手紙が入っていて、それによると、ラヴェル(作曲家)を猛烈に信仰していて、インパルスの板倉さんを愛していて、例の一発芸の脚本も出てきて、東京藝大に入っていますか?と問いかけがされていて、最後に一言
「彼氏はできていますか?うーん、出来てないだろうなあ、まあ誰かいたら素敵だね」
12歳の頃の自分よ、よくわかってる。
明日は本番だ、頑張ろう。