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憧れ続けた生徒会長と真面目に送ろうとした3年間

前回の日記で、私が生徒会長に憧れた件について触れた。

そんな私の中学時代の話をしようと思う。



ちなみに小4の頃、2週間ほど中学受験をしようと考えた時期があった。音楽コースがある私立中学をわりと近くに発見したからだ。

父氏はさっそく参考書を買ってきた。その名も「◻︎い頭を○くする」私はこのタイトルが読めず、「い頭をくする」と思っていた。今考えても本当に受験しなくて良かった…確実に落ちていた。




さて地元の公立中学に入学した私だが、中学はその時代上下関係が厳しく、ワンポイントがあるソックス(白色)やボタン付きのカーディガンは(以下略)、スカートの長さは言うまでもない……だった記憶がある。懐かしい。

そんな中学に、言われた通りワンポイントなしの白色ソックス、ボタンなしのベスト、第一ボタンまでとめたワイシャツ、スカートの長さはほぼ学年1長く、そしてメガネで入学した私は、中2で憧れだった生徒会長に立候補した。



小6から憧れをもっていた会長…。中1で生徒会副会長になり1年間の任期を終え、やはり次は会長しかない!となったのである。











しかし当時、生徒会室が大好きだった私は、お昼休みに食べ切らなかったお弁当を放課後生徒会室で食べるのが日常となっていた。時期は夏。












……生徒会長選挙前に食中毒になった。(O-157が有名だが、私がなったのはO-26だった)



あれは忘れない、挨拶運動も放送演説も会長立候補者が食中毒で参加しないこの恥ずかしさと恐ろしさと不安さ。

一方で、病院から突然電話がかかってきて、「よくない菌がでたので、すぐ病院にきてくれませんか?」と言われたあの恐怖…待ち構える保健所の方々…




半分腹痛のまま迎えた生徒会選挙をスンと終え、中3の途中まで生徒会長としてブイブイ言わせた。










そんな私も、中1のスキー教室(越後湯沢)ではホームシックになり、部屋で壁に向かって泣いた。

社会の時間に飛騨山脈と埋めないといけないプリントに「騨山山脈」と書いてゲンコツをくらった。

文化祭ではクラスの出し物でクイズヘキサゴンをやった。私は島田紳助役(MC)。決め言葉は「お書きください!」だった。


生徒会室からグラウンドを眺めながらする恋バナは青春だった。(友人の話を聞くだけ)






修学旅行で洋服を前後ろ反対に着た。(新横浜に着くまで気づかず)








そして高校受験のために中3から通った塾の近くにファミリーマートがあり、そこから私のファミチキ好きが始まるのである。(現在でもソウルフードとしてよく食べている)











真面目に過ごそうとした。だって生徒会役員だもの。




…と自分に言い聞かせすぎて、通学路にあるフジスーパーにちょうど母が買い物に来ていても、少しばかり寄ることに相当な罪悪感を感じるタイプに成長していた。


多分その反動が高校時代以降にきたんだと思う。









でも根はなんだかんだ真面目なのは、今でも多分変わってない。(自分で言ってしまった)